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一人が好きなのはいけない事?

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近年、一人を好む若者が増え、「ぼっち」という言葉も定着してきた感があります。
大学の学食などでは、学生の求めに応じて敢えて「ぼっち席」という個人個人しきりの
ついた席になるようにテーブルをしきっているところもあるそうです。

ただ、こうした傾向が顕著になってくると、少なからず出てくるのが「他人との
コミュニケーションを取ることの大切さ」という議論です。

コミュニケーション障害(コミュ障)と言う言葉も病的な意味ではなく、カジュアルに
使われる昨今、「一人が好きなこと」というのはどういった点で問題になってくるの
でしょうか?

行き過ぎた個人主義


第二次世界大戦中の教育で、右向け右!な教育を強いられた結果なのか、戦後の
日本の教育はとにかく「個人の自由」に重きを置いてきました。

そうすると、なんと日本の高校生などでは、「何をするのも個人の自由」という
考えが強く根付いているという調査結果まで出されることになったのです。

この「何をするのも」の「何」とは、犯罪行為まで個人の自由と考える傾向が
あることが調査の結果からわかりました。
大変顕著な個人主義の米国でも同じ調査は行われましたが、実は日本の高校生の
方が、どんなことも個人の自由と考える傾向が強いことがわかったのです。

価値観の問題として、個人的に、人がどんなものを信じようと、学ぼうと
好きであろうと、それは個人の自由です。
誰と結婚するのも、どこに住むのも、これも基本的人権として、個人の自由で
あることに変わりはありません。

しかし、法的に定められている個人の自由とは、公共の福祉に反しない限りという
条件がついています。

そうです、個人の自由にも、社会においては制限があるわけですね。
これはもちろん、私たち人間が、本当に「一人」では生きていない「社会的」
動物であるがゆえの制限です。

しかし、今の日本では、この公共の福祉さえも、軽んじられようとしている
というわけです。

一人が好きなことは大切な事


個人の自由は公共の福祉に反しない限り、守られる権利です。
ですから、一人で自分の思うように時間を過ごすことは、精神衛生上もとても
大切。

好きな本を読んだり、ゲームをしたり、自分の心の潤いを満たすような活動に
勤しむことは、誰にも邪魔されるべきことではありません。

しかし、それが誰かを傷つけたり、一緒に過ごす社会(この場合は家庭や職場や
学校ですね)の流れを著しく乱すようなら、少し考えることが必要ですね。

人間が感じる「孤独」は、本当は孤独ではないからこそ感じられるもの。
真の意味で一人であるならば、そもそも孤独を感じることもないのです。

自分が存在し得る社会や、人の輪を大切にしつつ、自分の時間を大切にする、
そんな風に過ごせることが理想かもしれませんね。




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